あたくち、ファラなのよ。13年前に虹の橋に渡ったのよ。
あたくちのお家には2人のお姉ちゃんがいましたのよ。
その中でも、あたくちは、上のお姉ちゃんをママのように
思っていたんですのよ。そして、とっても仲良しでしたわ・・・。
mimiちゃんは、そうねぇ、あたくちの妹分かしら。
よく遊んだわ。ウフフ。そうそう、あたくち、お喋りが大好きで
5分に1度は、お話してもらわないと、とってもイヤだったわ。
あたくちは、毛繕いも好きだったのよ。真っ白なこの自慢の
毛皮が汚れないように、それは丁寧にお手入れをしてたわ。
でもね、とうとう来てしまったの。虹の橋に行く日が・・・。
1989年の4月にあたくちは、体調を崩してしまったのよ。
そう・・・、大好きなお姉ちゃんと同じ場所、同じ症状で・・・。
あたくちは、大手術をしたけれど、お姉ちゃんは軽く済んで
本当に良かったと思っていてよ。ウフ。
その5年後あたくちは、腎臓を患ってしまったのよね。
お姉ちゃん、mimiちゃん、あたくちの治療、ありがとう。
あたくち、ちっともイヤじゃなかったわ。
あたくちは、頑張って生きたかったのですもの。
毎日、徹夜で看病してくれたお姉ちゃん、そして
あたくちの妹、mimiちゃん、後悔なんてしないで・・・。
あたくちは、愛されてとっても幸せだったのよ。ウフ。
虹の橋にはいつも、暖かい陽射しが降り注いでいるの。
待っているから、また逢いましょうね。そして、あたくちの
身体から、太陽のにおい、一杯感じ取ってね。
あたくち、待っているわね。そして、いつも側にいるから
もう、泣いちゃダメよ。これが、あたくちとの約束よ。
沢山の愛をありがとう。今もとても幸せよ。

あたちは、みゅう。1975年に、生まれたのよ。
あたちのお家のみんなは、あたちの事、「可愛い〜」って
ゆって、それは、可愛がってくれたの。ウフ、そして
可愛いあたちを、ももりんお姉ちゃまにお披露目。
ももりんお姉ちゃまは、あたちと、どうしても暮らしたく
なっちゃったんですって。ウフフ。実はね、あたちも
ももりんお姉ちゃまが大好きになって自慢のグリーンの
お目々でテレパシー送ったのよ。ウフフ。通じたのね。
あたちは、それから10年間、ももりんお姉ちゃまと暮らしたのよ
そして、後の12年は、ももりんお姉ちゃまの弟とお母さんと
暮らしたわ。みんなからは、沢山の愛を貰ったわ。
でもね・・、あたちも歳を取ってしまったのね・・・。
1997年の11月16日だったわ。いつものように、お母さんの
ベッドで目が覚めたの。なんだか少し身体がだるかったのを
覚えているわ。でも、きちんと自分でおトイレに行って
その後は身繕いもしたのよ。あたちには、この日が
解っていたの。あたちの、お兄ちゃま(ももりんお姉ちゃまの弟)
が、あたちの名前を呼んでくれたわ。あたちは、最期に
「ありがとう」って言いたかったの。お兄ちゃまの指を
ギュッと握ったわ。でも、怖いからじゃないの。
淋しいからじゃないの。泣かないで欲しかったの。
あたち、幸せだったわ。虹の橋で待ってるわね。
また、みんなで暮らしましょうね。

わたし、タマっていうのよ。下のお姉ちゃんが付けてくれた
名前なの。でも、よく、猫さんと間違われたわ。
わたしは、お母さんが1980年に働いていたお店によく
行くようになって、クリスマスの日、お母さんにさらわれたの!
お母さんを迎えに、お父さんと下のお姉ちゃんが来てたわ。
私を見て2人とも驚いたいたのよ。おかしかったわ。
お家には、上のお姉ちゃんもいたの。このお姉ちゃんが
わたしの姪っ子のランランとグレープのママなのよ。
わたし、なかなかの器量よしで、モテたわ〜〜。
ボーイフレンドが何人もいたのよ。お散歩は毎日3回、
合計3時間行ってたわ。みんなに愛されてとても幸せだった。
お母さんと毎日行ったお散歩のお陰でわたしは、長生きが
出来たわ。ありがとう、お母さん・・・。
わたしは、虹の橋でも、モテモテなのよ。だから心配しないでね
それから、わたしが幸せだったか・・?なんて後悔しない事。
21年間もお父さんお母さんの傍にいられて
幸せだったんだから〜。それから、お姉ちゃん、泣かないでね
わたし、心配で毎日、見に来なくちゃいけないじゃないの〜。
家族になれて良かった・・。虹の橋でまたみんなを
待っているわ。永遠に一緒に暮らせるその時まで・・。
                              2001/9/23


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